昨日はミラクルとタイトルを堂々と掲げ、ブログを書いていたが、今日は一転、父の病室に行くと9度の熱にうなされていた。お顔を真っ赤にして、はく息もつらそうだ。一体熱の原因は何なのか?即座に聞くと、ドクターのみたてじゃないとわからないと男の看護士さんが応えた。看護士さんは、ケアマネのNさんとの会話で、断定的な判断はけっしてしない。ドクターにお任せだ。それにしても、明日の血液検査を待たなくてはいけないのか?医者はどこにいるんだ?昨日流石千葉西と褒めたばかりだが、土日は大抵こんなもんとわかっていても、救急対応があるのであれば、原因を探ることぐらいできるだろうと極めて普通の感覚が働く。一日看病するのももったいないので、午前中は母、弟夫婦と姪が中間で、母を送迎し、夜ご飯は私と役割分担をして、みんなが疲れないようにエネルギーを分散した。夜、私が行くと、父は、のどにタンが絡まって苦しそうにしていた。座薬を使って熱は下ったようだが、タンの絡まった咳をきくと、なんとも苦しそうである。肺炎じゃないかしら?このまま血栓が脳に飛んで梗塞しやしないかしらと嫌なことばかりが頭をよぎる。私が面会手続きをしにいっている間に夕食がきたようで、父は断ってしまった。コンビにで買ってきたプリンと、野菜ジュース、ヤクルトを飲んで栄養補給。歯磨きもしっかりして、帰ろうとすると、のどにタンが絡んで苦しそうにしている。看護士さんに吸引をお願いすると、鼻から管を入れるので痛いようで、「もういい」と言う。いなくなるとまたゲロゲロが始まり、帰るに帰れない。昼間どうだったのか、母に確認しようとデイルームから戻ると、酸素マスクを看護士さん達が父のためにつけてくれていた。痛々しくなったが、この方が父も楽に違いない。尿の管は取ったので、ここから菌が入ったとも考えられないし、叔母が早速今の状態をききつけ、「肺炎」かもと言われると、3週間前にうった予防ワクチンで免疫はついている筈なので、違うとは思うが、確信はない。病院の方が、また石が溜まっている可能性もある と言っていたと母、「熱」に拘り追及すると、悪いところが必ずあぶりだされる とは、嫁のMさんや、今回の教訓でもある。明日にならないとわからない というのが、なんとも不憫でしかたないが、父も「明日まで我慢するしかないね」といい、「気をつけて帰りなさい」と最後まで私のころを気遣ってくれた。日中は、母に「早く家に帰りたい」と言っていたそうだ。奇しくも私も最後に、「もう少し、あと少しだけここにいるだけで、家には戻れるからね」と元気づけて病院を後にした。
父は、11年前に倒れたとき、最初は軽い脳梗塞と診断され(実際そうだったこともあり)、病気とは無縁の家族だったため、2度目の梗塞がおこるなんてこと全く考えておらず、いろいろ後悔したことがあった。あの時、携帯電話からきいた、「お父さんが急変しました。すぐ病院にきてください」看護士さんの声は今だに脳裏から拭い去ることができない。病院に入っているから安全だとはいえ、本当に元気になって自宅に帰ってくるまでは、胸の奥のザワザワは消えないだろうな。どこかでそう思っている私がいる。
それにしても、千葉西の夜間看護事情はなかなか厳しそうだ。常に看護士さん達はナースセンターにはいらっしゃらず、お食事のお世話や、水枕、ナースcallとひっきりなしに動いている。さびしくてナースcallで呼ぶお年寄りがいるが、看護士さんが、きつく「用事が無い時には呼ばないでくださいね」と言って声を荒げたくなる気もわかる。父の病棟は、ナースセンターの近くにあるので、特別なのかもしれないが、ちょっと効率化を進めすぎているのではないかとちょっと感じてしまった。
病院のことはとやかく言うまい。父の命を預けているので、とにかく命を助けてくれれば、それで十分だ。無事かえってこれるように心から願うばかり。父の生命力を信じるしかない。多く人が父を思ってくれているので、それが届くような気もする。いやなことを考えてしまうのも仕方ないが、私達は、一日一日大切に最善を尽くすしかないのだからね。
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