いや、長い一週間が漸く終了した。土日は、父の病院でヘトヘトだったが、月曜日は、会社で年に一回の抜き打ち監査が入った。兄弟エリアのHに先週入ったので、来月辺りかな と思っていたけど、なんと、一週間後の月曜日とは全くもって不意をつかれた。ま、それでもやることはしっかりやってきたし、たまたまだけど、金曜日は5Sデイにしてみんなで、執務室や、個人の机の中、給湯室、ロビーに至るまで、こざっぱりさせておいたし、不幸中の幸いともいえることがいくつか重なって、「非常に良く出来ている」という評価に終わった。ついていた・・。 その日はある程度、評価良好のめぼしがついてからは、翌日予定されてる、コンプライアンス関係のモニタリングの準備に入った。ホッとする間もあったもんじゃない。約200件のリスク性商品の販売が適切に行われているかを確認するモニタリングで、年に2回入る。私が着任してから、3回入っているが、これまでC/C/B(Cに近いBと嫌味を言われた)の成績で決して褒められる成績ではなかった。しかも、乗り換え勧誘など売り買いも多く、コンプライアンス上、どういった視点から指摘が飛んでくるか、念には念を入れて点検するので、時間もかかる。ただ、今回嬉しかったことは、年明け早々から営業部のメンバー達が、分担して、見直しを行い、不備については、予め補完を済ませておいてくれたことだ。さらにマネージャーが点検し、「よし」としたものを最終チェックで回ってきていたので、書類を整える程度で私の役割は終わった。見直した甲斐あって結果は「A」、非常に良く出来ているという評価だった。これはメンバーの功績以外の何ものでもないと大絶賛、みんなも大喜びであった。万年「C」評価から漸く脱出ができた!すべて、自分達が見直しをしたので、達成感もひとしおだったと思う。毎日早帰りが継続できていた彼女たちにとって、この2週間は苦痛だったに違いない。それでも、一生懸命に手抜きをせずに見直しをしてくれたことに心から感謝だ。恐らく、点検をしたことで、彼女たちの視点は変わり、今後不備の発生率は減少するとも思われる。次に私ができることとと言えば、既に補完された不備をもとに、不備の発生しやすい傾向を共有し、注意を呼びかけることだろな。と思ってる。ここまでがPDCAだ。
しかし、この2日間だけでも20日ぐらいの価値があるほど、凝縮した2日間だった。コンプラの日は、お客さまのクレームの対応もへ並行した。水曜日、記念硬貨の両替に10分も待たせるとはどういうことだ というお客さまの対応もあった。ああ、待ち時間に対する認識がまだまだ弱いんだなぁ と反省することしきりである。それから、木曜日は、兄弟エリアのH支店のマネージャーとの打ち合わせ・・サービスに関する一年間の取組を発表するという行事が我が社では毎年行われているが、本線発表の前に予選がある。このネタを予め、私とマネージャーで選択し、来週の兄弟格のエリアでの打ち合わせに臨む。予選は2月9日、もう時間もないので、道筋はこちらで決めてしまった。本来の姿でないことは承知の上であるが、まっ、それも仕方ないな と、首をつっこんでしまったが、やるからには、優勝し、本戦にも出場したい という新たな欲もマネージャーには芽生えてきたようで、「よし、その気があるのなら、お手伝いするわと私も狙いに入っている自分に改めて気づく。」彼女とは食事をしながらだったので、11時半過ぎまで語り合った。少し飲みすぎた。最近、東大の助手をやってるくんちゃんに教えてもらった和風イタリアンで、料理が美味しい。フォアグラのテリーヌと、串焼きは絶品、ワインも随分のんだ。
金曜日、朝から相当疲れもたまっていた。とはいえ、疲れはみんなにみせられない。朝からコンプライアンスの勉強会、予め依頼しておいたYマネージャーがしっかり準備していてくれた。お昼は、パートのOさんが、シフォンケーキを持ってきてくれていた。バナナが入っているもので、母のプレーンとまた違う。美味しくてふわふわだ。外を回っているOさんが戻ってきて、みんなが一斉に「ごちそうさま」という。本人もとっても嬉しかった様子で、「お口にあってよかったわ」と一言。バナナどのくらい入れたの?と質問すると、半本という問いに対する答えに+αの言葉が沢山重なって戻ってきた。そして最後、箱は潰さないでとっておいてね は全く母と同じセリフ・・苦笑して、自分の母親もシフォンは大得意 なの箱については、母と同じ とOさんに伝えると彼女も喜んでいた。バナナについても具体的に教えてくれたので、母に告げると、翌朝、バナナ入りのシフォンが出来ていたことには感動してしまった。来週早速、一つ箱をOさんに差し上げようと思う。うちは3個あるのでどうぞ・・。
これまで、病院、と、父のことをブログに書いてきたが、パラレルで会社では、こんなこともあったんだっけ。そりゃ長い訳だ。土日、ゆっくりヤスみたいところだけど、父の病院にもいきたい。父を見舞いに、弟夫婦と姪も来るという。父が戻ってくるまであまり落ち着くことできないけど、父さえ無事に帰ってきてくれれば、これきしのことなんでもない。昨日は、理ちゃんが、仙台に帰る道中に父を見舞ってくれたという。ああ、ありがたいな。
忙しさもそうだけど、視点を「人」に向けると、なんと温かい人たちばかりが私の周りにはいてくれるんだろうと改めて感謝する。豊かな一週間だった ともいえるような気がする。
父が入院したのは、まだ一週間前か、ずっとお世話になってる新東京病院の紹介で千葉西病院に入院することになったが、最初、確かに不安で一杯だったが、今、こうして静かな気持ちで父の手術を待つことができるのも、新東京病院と千葉西病院のネットワークがよかったのとケアマネが私達家族の不安感を聞き入れ、説明し、不安を払拭し、医者と家族をつないでくれたお蔭だと思ってる。地域医療というと、なんだか難しいようだが、要は、一人の患者のカルテを、共有できるしくみをつくり、どこの病院に行ってもある一定の水準の医療を施してもらえることができれば合格といえるのではないかな と感じる。父の場合はおよそ合格点に達していると思う。Nケアマネの配慮ゆきとどいた医療の現場と現場、医者と医者、をつなげていくバイタリティと力は凄い。千葉西の説明に同席してくださった後、電話でお話をしたが、Nケアマネも、同席をしてみて、千葉西に学ぶことが沢山あったとおっしゃっていた。やはりNケアマネは大きい人だ。感謝せずにはいられない。
今日も半日病院。面会はお昼(13時)から。父の第一声は「おぅ、漸くきた!」だって。待ち遠しかったのだろうなぁ。 渡邉さんが早速お見舞いに来てくれるとベソかいて、口をへの字にして涙しそうなところを堪えてる。あぁ、ゴメンネ。明日は大事な主治医からの方針説明のある日、Nケアマネに、私が同席できないことを伝えるとなんと代わりに聴いてくださるとのこと。有難い。私にできることは、この意図することを、遺漏なく、主治医になろう先生に伝えることである。わたしは、看護師さんに口頭で伝え、さらに手紙を書いた。手紙には、Nケアマネにはできる限り早く、先生のご説明の時間を伝えたいということ、お聴きした内容については家族で相談の上、治療方法を選択すること、父へ最善の治療をしていただくために臨機応変に家族が対応することを、記述した。よし、これで万全。後は母に任せた。
新東京病院で最後の診療を受けたのは3時、泌尿器科で、血液検査と尿検査をしたところ、肝臓と膵臓の機能が悪い、消化器外来に回された。熱の原因は、胆石なのか、管からの箘なのか判別がつかないが、胆石だとすると相当深刻だていうことで、完全に安静にしたほうがいい、つまり、入院ということだか、空きのベッドがないという。なにせ、総合病院すべてお世話になってるといっても過言ではない。担当のM先生は必至で探してくださったが駄目だった。M先生は、近隣の千葉西に空きベットをみつけて、紹介状を書いてくれた。有難いと心から思った。受け入れしてくださる先生にも感謝だ。ただ、父は、沢山の病気があって約10年の間、新東京病院に通ってる。膨大なデータのあるところから、定評ある千葉西に代わったとしても、重大なオペは躊躇する。この一週間、毎日父をみてきた私としては、快方に向かっているように感じるのに、この緊急事態にちょっと驚いてしまった。胆石をとること事態難しい処置ではないらしいが、ワーファリン、パナルジン という、血液をサラサラにする薬を止めることがリスクなのだ。薬を止めて処置するのなら、総合的にみて新東京がいいなぁ そう思ったので、一通りの話をドクターからお聞きして、ベッドがあくまでの安静期間を千葉西で、オペは、新東京でお願いしたいと家族の意向として、看護師さんを通じてドクターにはお伝えしておいた。千葉西の先生は、化粧気のない女医さん、この一週間の父の容態をおききになった。冷静に話を聞かれた後、お父さんは、一週間前より、良くなってますか?悪くなってますか?と質問があった。「どちらかというと良くなってる」と、感じているままお伝えすると、先生も「血液検査でも、ピークは過ぎたと値がでています」と。あぁ、それきいて俄然安心した。胆石の摘出については、月曜日専門の医師と相談の上きめましょう。とのことで暗かった私の気持ちは一気に明るくなってきた。弟夫婦も来てくれて、姪と一緒に父を元気づけてくれる。 父にとっては何よりもの薬だ。そういえば、私も母もお昼から何も口にしていないことに気づく。夜ご飯は、弟夫婦、と母と私とで、行こうと思っていたが、父の入院手続きにはまだまだかかりそうだ。また、ぐったりとした子供達が居る中に、姪がうろうろしていることも気にかかる。私が残り、他で食事をしてもらうことにした。夜間の入院には看護士の皆さんにもご迷惑をおかけした。説明しているさなかに、callボタンで呼ばれて、なんども席を外していかれる看護士の方、過酷な夜の勤務をさらに邪魔しているようで申し訳ない。まっ、読めば判ることは自立的に行い、不明な点のみ確認しようと思うが、特別質問するようなこともない。母が戻ってきて、私からこの病院の決まりごとを伝える。すべてが終わって、帰宅したのは11時だった。母も私もぐったり。父も相当疲れたことと思う。環境は変わっても、ゆっくり休んでほしいな と願う。おやすみなさい。
この病院には、随分父がお世話になっています。先週発熱した父、肺炎球菌ワクチンの影響と救急外来の先生もケアマネも思っていたが、火曜日は、熱があるのでデイケアお休みし自宅療養。ところが尿がでない。さむ〜い 1日だったので行動も鈍くなり、結局、救急外来で看護婦さんに「手遅れになったらどうするの」と叱られたとのこと。排尿処置に終わり翌水曜日泌尿器科へ。松本先生にお世話になった。自然に尿がでないのでくだを入れた。待ち時間と診療で丸1日、父は、バルーン付きのくだが体に馴染まずつらそうだ。疲れの溜まった母は限界、頻回にトイレにいきたいと告げる父 にあたるのが耐えられず 夜は、私がつきそうことにした。 この日の夜、父は、尿管の違和感と並行してやってくる胆石の悪さに耐えられず、何度も私を起こした。電気毛布の暖かさが血行を促進させ、胆石に刺激するのかと思い、電気毛布の電気を切ったり、ベットに座らせて、わき腹をさすることによって、改善させていったのだろう。いつの間にか父も私も眠りについてしまった。それにしても、父が手をつないでほしい と言ったのには、相当の死への恐怖心、不安感がうかがえる。翌日は、熱も下ったので、デイサービスに行く。お風呂にも入らせてもらって、さっぱりとした。しかし、金曜日は熱があるといって帰ってきた。一体、何の熱なのか・・。製薬会社に勤める嫁から、原因を究明したほうがいいと、新東京病院に行くことになった。という訳で本日に至るのである。