母とおむつ等の調達をし、私だけ病院にきた。 11時頃、病院に到着し、ナースセンターにいらした先生ともお話しができた。父のバイタルは、脈拍110 血圧107 60後半で安定してきている。血圧を上げる点滴をうってるが、徐々に減らしていくとのこと。脈は高いが不整脈もあるのでやむなし。今朝の血液検査で肺炎の炎症数値が高いので、人工呼吸器をとるのを今日は見合わせた。とのことだった。眠り薬をのんでるので、安易に声をかけて意識を呼び覚ますとかえって可哀想、おむつの補充だけして部屋はでたが、意識レベルは、正常になるんじゃないかな。何かの音に反応して目がうっすらと開いたとき瞳がしっかりとしていた。そんな父の状態をみた時、私の直感が働いた。もう少しで、本当の意味で安心できる。
2時半頃、父の様子をみにいく。再び看護士の方に確認し、ICUに入る。目をあけて、少し意識のありそうだったので、看護士さんに、声をかけてもいいか確認してみる。「パパ」と声をかけた瞬間、管の入っている口をもごもごさせて何かをいいたそうだった。パパが今どういう状況にあるのかを伝えると、首を縦にふる。とにかく、難関を乗り越え、肺炎の炎症が治まりさえすれば、管もとれる ということ、従姉妹のOちゃんやCちゃんもパパのこと「凄い」と言ってた等と伝えるとうっすらと涙を浮かべていた。
こうして言葉でなく、うなづき、くびふり、目の表情だけでもコミュニケーションはとれることとに感謝だ。夜、T叔父さんからも連絡があってパパの容態を気にしてくれていた。
人工呼吸器が抜けない今、肺炎の炎症が残っている今、まだまだ予断は許されない。
午前中に7度9分あった熱が、私が帰る5時過ぎには、7度6分に下っていた。体温は、肺の炎症度合いをしらせるバロメーターだ。少し良くなってきているのかな。今日、ノンバーバルなコミュニケーションを父ととれたことは私自身もとっても嬉しかった。回復して、明日には人口呼吸器がとれるような予感がする。最近私の直感は意外と冴えている。でも、父の病状については、少しづつ、ゆっくりでいいから、確実に着実に改善していくよう願っている。なにもあせることはないのだ。
長い1日がくれてゆく。パパの熱の原因は肺炎だった。覚悟して人工呼吸器をつけていただいたが、脳梗塞の疑いは少なく、肺炎の影がうっすらと写真に写っているという。可能性にかけてよかったと、母や弟たちと喜びをわかちあった。パパの親友のTさん、Mさんもかけつけてくれた。パパがことのほか勇気づけられたことと思う。お隣のKさんはキリスト教の熱心な信者さんだ。ご夫婦で来てくださって、お祈りを捧げてくださった。二人の従姉妹からも父への応援と、私達家族へ体を気遣うメールをいただく。
母と私は、夕方病院を後にした。
私は、会社の鍵を持っているため、親切にも病院まで取りにきてくださるというMさんに松戸の駅まで持参する旨お伝えし、6時55分に引渡しをした。Yマネージャーにも明日だけお休みをいただく旨お伝えした。チームリーダーからも今日一日無事だったことと、私や家族を労わるメールが届いた。みんなしっかりやってくれるんだな・・。安心だ。電波時計をチームに約束していたことを思い出した。丁度駅前のイトーヨーカドーなので、頼んでいたものを取りにいきMさんに荷物になるが、立替払いが一週間を超えてしまうのも気になるので渡すことにした。会社への心配はこれでなくなった。後は、私の問題だが、明日予定されている部長試験を受けるかということだ。Mさんは配慮して、地域や、明日の試験運営の事務局にも私のことを報告してくれたということだが、せっかく勉強もしてきたし、何より、仲間や支店のみんなに、試験勉強を厳しくるすよう言っていた私がどんな事情があるにせよ試験を受けないというのは、リーダーとしてどうかと思う。とりあえず、この件は明日に先送りして今日は寝よう。とにかく眠い。
今の私達に必要なのは眠りである。おやすみなさい。
昨日はミラクルとタイトルを堂々と掲げ、ブログを書いていたが、今日は一転、父の病室に行くと9度の熱にうなされていた。お顔を真っ赤にして、はく息もつらそうだ。一体熱の原因は何なのか?即座に聞くと、ドクターのみたてじゃないとわからないと男の看護士さんが応えた。看護士さんは、ケアマネのNさんとの会話で、断定的な判断はけっしてしない。ドクターにお任せだ。それにしても、明日の血液検査を待たなくてはいけないのか?医者はどこにいるんだ?昨日流石千葉西と褒めたばかりだが、土日は大抵こんなもんとわかっていても、救急対応があるのであれば、原因を探ることぐらいできるだろうと極めて普通の感覚が働く。一日看病するのももったいないので、午前中は母、弟夫婦と姪が中間で、母を送迎し、夜ご飯は私と役割分担をして、みんなが疲れないようにエネルギーを分散した。夜、私が行くと、父は、のどにタンが絡まって苦しそうにしていた。座薬を使って熱は下ったようだが、タンの絡まった咳をきくと、なんとも苦しそうである。肺炎じゃないかしら?このまま血栓が脳に飛んで梗塞しやしないかしらと嫌なことばかりが頭をよぎる。私が面会手続きをしにいっている間に夕食がきたようで、父は断ってしまった。コンビにで買ってきたプリンと、野菜ジュース、ヤクルトを飲んで栄養補給。歯磨きもしっかりして、帰ろうとすると、のどにタンが絡んで苦しそうにしている。看護士さんに吸引をお願いすると、鼻から管を入れるので痛いようで、「もういい」と言う。いなくなるとまたゲロゲロが始まり、帰るに帰れない。昼間どうだったのか、母に確認しようとデイルームから戻ると、酸素マスクを看護士さん達が父のためにつけてくれていた。痛々しくなったが、この方が父も楽に違いない。尿の管は取ったので、ここから菌が入ったとも考えられないし、叔母が早速今の状態をききつけ、「肺炎」かもと言われると、3週間前にうった予防ワクチンで免疫はついている筈なので、違うとは思うが、確信はない。病院の方が、また石が溜まっている可能性もある と言っていたと母、「熱」に拘り追及すると、悪いところが必ずあぶりだされる とは、嫁のMさんや、今回の教訓でもある。明日にならないとわからない というのが、なんとも不憫でしかたないが、父も「明日まで我慢するしかないね」といい、「気をつけて帰りなさい」と最後まで私のころを気遣ってくれた。日中は、母に「早く家に帰りたい」と言っていたそうだ。奇しくも私も最後に、「もう少し、あと少しだけここにいるだけで、家には戻れるからね」と元気づけて病院を後にした。
父は、11年前に倒れたとき、最初は軽い脳梗塞と診断され(実際そうだったこともあり)、病気とは無縁の家族だったため、2度目の梗塞がおこるなんてこと全く考えておらず、いろいろ後悔したことがあった。あの時、携帯電話からきいた、「お父さんが急変しました。すぐ病院にきてください」看護士さんの声は今だに脳裏から拭い去ることができない。病院に入っているから安全だとはいえ、本当に元気になって自宅に帰ってくるまでは、胸の奥のザワザワは消えないだろうな。どこかでそう思っている私がいる。
それにしても、千葉西の夜間看護事情はなかなか厳しそうだ。常に看護士さん達はナースセンターにはいらっしゃらず、お食事のお世話や、水枕、ナースcallとひっきりなしに動いている。さびしくてナースcallで呼ぶお年寄りがいるが、看護士さんが、きつく「用事が無い時には呼ばないでくださいね」と言って声を荒げたくなる気もわかる。父の病棟は、ナースセンターの近くにあるので、特別なのかもしれないが、ちょっと効率化を進めすぎているのではないかとちょっと感じてしまった。
病院のことはとやかく言うまい。父の命を預けているので、とにかく命を助けてくれれば、それで十分だ。無事かえってこれるように心から願うばかり。父の生命力を信じるしかない。多く人が父を思ってくれているので、それが届くような気もする。いやなことを考えてしまうのも仕方ないが、私達は、一日一日大切に最善を尽くすしかないのだからね。
今日も、午後から千葉西病院へ、父の看病へ・・
入るやいなや、父がナースcallを右手にもって、なにやらいいたそうだ。今朝、H先生が来て、MRIの結果を父に報告してくれたのだが、なんと、悪さをしていた胆石は、跡形もなく、なくなってしまったという父の表現で言うと、
「石っころ なくなっちゃったんだって。」「だから、もう手術しなくていいんだって」と、笑いながら、泣きながら、鼻水たらしてしわくちゃになりながら伝えてくれた父の表情が忘れられない。ああ、ほっとした。この件を、説明するんで、H先生と時間などの調整をするんで、「家族がきたら、教えてね」と看護婦さんに言われたことをしっかりと守ってのナースcallだったということが後でわかった。弟1と、義理の妹と(二人は夫婦)私とで、H先生の説明をきいた。火曜日、もう一度血液検査をして、ワァーファリンと、パナルジンを再会させ、落ち着いたら退院OKということであっつた。ホットするのも束の間、一週間の病院生活で、父の筋力はすっかりと衰えてしまい、刺激のない中で、頭もボーーっとしてきているようだ。理学療法士の方が、リハビリ室に母を呼び、入院前の機能と同様なのか、確認されにみえた。母によると、全然立てなくなってしまった ということであった。やばい、歩行ができなくなると、自宅介護では母に相当な負荷がかかる。なんとかリハビリで、筋力が元通りになるまで、ここに居させてもらえないかと相談しようとしたが、消化器外科のH先生に相談するよりも、Nケアマネに言ったほうがよさそうだ。H先生は目の前にいたが、忙しい合間に来てくださっているようだったので、彼女にとって面倒臭そうな話題はとりあえず脇においておいた。でも、冷静に考えると、無理はないように思う。普通の人ですら、一週間も寝ていたら筋力は相当に衰える。また、父は脳梗塞で脳の機能も半分は麻痺だ。手術するという緊張感から、なくなったという安堵感。ちょっと拍子抜けして「ボー」っとなってもおかしいとは思わない。
千葉西総合病院は、プレジデントや東洋経済でも病院特集で上位にランキングされていたし、院長がインタビューされていたりと、全国的にも良い病院として認知されている。理念や、大事にしていることが、患者や、見舞いの者にもわかるように、目立つところに病院の基本方針が掲示されており、また、その思いが、少なくとも私達家族が接点をもった先生や看護婦さんには浸透されているように思う。病院は、確かに居るだけでも疲れるところだけど、人が醸し出すこうした空気の中で過ごせるのは、患者にとってもいいことだとおもう。翻って、自分の職場はどうだろうか と思いを馳せる。